ユーじいとトンくんのよもやま話 第3話 (平成16年1月) |
ユーじいとトンくんの新春対談 |
トンくん 「ユーじい、ピアノの前で何をピコピコやってるの?」 トンくんは、ユーじいの家で飼っているオスのヨークシャテリア。ユーじいと話ができるんだよ。かわいいんだぁ。寝るときも、いつも一緒。 ユーじい 「えへへ、実はラ・カンパネラを練習してるんだ。カンパネラっていうのはね。イタリア語で『小さな鐘』っていう意味なんだ。超絶技巧といって、とっても演奏の難しい曲なんだよ。(自慢げ)(^-^) トンくん 「へぇ〜。でもホントに下手だね。ぜんぜんメロディーに聞こえてこないよ。」 ユーじい 「そんなことないでしょ。ちょっとぐらいそれらしく聞こえるでしょ。」 トンくん 「ぜ〜んぜん♪」(*^v^*) ユーじい 「・・・・」(-_-;) トンくん 「こんなのユーじいには難しすぎるよ。バイエルの初めの方でピアノレッスン止めっちゃったの知ってるんだから。」 ユーじい 「へへへぇ。やっぱりそう思う。自分でもそう思ってる。」(^_^;) 「でも、そんなこと言わないでフジ子・ヘミングが演奏しているとこCDで聴いてみてよ。」 ♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪ ♪♪ ユーじい (目をウルウルさせて)「ほ〜らね。鐘の響きの中に『生きる』ことの喜びや哀愁その他、ぜ〜んぶが凝縮されてるって感じがするよね。まぁ、人生の喜怒哀楽を楽しむなんて、トンくんのような若輩ものには所詮 無理だろうけどね。フッフッふぅぅ。」 トンくん 「・・・・・」 ユーじい 「そうだろ?、トンくん。」 ユーじい 「あれぇ、トンくん、ユーじいの言うこと、ちゃんと聞いてるのぉ?」 トンくん 「ちょっと黙っててよ。今、いいとこなんだからぁ。あ〜ぁ、死んじゃった。もう少しで敵を殺せたのに。ユーじいのせいだよ。 ユーじい 「あっ、トンくん、人の話を聞かないで またテレビゲームかい。困ったやつだ。だいたいねぇ、いくらゲームの中とはいえ、人間をそんな面白半分で殺すなんてことやっちゃいけないんだよ。」 トンくん 「ゲームの中だからいいじゃん。」 ユーじい 「そんなことないよ。今のイラクの問題だって、半分はお茶の間の娯楽になってしまってるとこがあるよ。ハイテクを駆使したアメリカ軍がイラクを攻撃してるシーンなんか、戦争映画を見てるみたいだしね。でも現実は、生身の人間がたくさん殺されてるんだからね。アメリカ兵がイラク人に殺されたっていうニュースの陰では、それの何十倍もの、何も悪いことをしていないイラク人も殺されているんはずだよ。」 トンくん 「だって、フセインが悪いからだよ。」 ユーじい 「確かに いろんな悪いことをしたよね。でも物事はそんなに単純じゃないよ。もともとはフセイン大統領に軍事的に肩入れしたのはアメリカだったんだよ。それからブッシュ大統領が『テロリストの恐怖』ばかり強調するけど彼らには彼らの論理があるはずだよ。アメリカの今回の軍事行動は、イラク人の目には、大国の横暴とうつっているむきも、きっとあると思うよ。こんな話も聞いたことがあるよ。アメリカ軍はね。敵の戦車を破壊しやすくするため弾丸に劣化ウランというものを使っているんだって。」 トンくん 「へぇ〜。でもそれがどうしたの?」 ユーじい 「この劣化ウランは、放射能を出すから困るんだ。砲弾が土の中に溶け、水を汚染し、その汚染された水を飲んだり、そんな土壌で生育した食べ物を食べたりすると、乳児やお母さんのお腹の中にいる赤ちゃんに、とっても悪い影響が出ると言われているんだ。湾岸戦争のときには生まれてくる赤ちゃんに奇形やガンが多発したんだよ。これから生まれてくる罪のないイラクの子どもたちに今後 何世代にもわたって一体どれだけ放射能の影響が続くか想像もつかないっていうんだよ。」 トンくん 「へぇ〜。でも実感がわかないなぁ。」 ユーじい 「そう。実はユーじいもそうなんだ。人間って、悲しいことに、頭の中ではわかってるんだけど当事者でないと親身に物事を考えられないんだよね。人を殺すっていうことは、その人だけでなく、その人を愛している人の心もめちゃくちゃにしてしまうことだよね。その人とともに過ごした楽しい思い出、その人の優しかったこと、そんなすべてのことを奪ってしまうんだよね。」 ユーじい 「前回、ガンで亡くなった子どもたちの話をしたけど、今のトンくんのような子どもたちに、『いのちの大切さ』を、ぜひ学んでほしいんだ。みんな『いのちの大切さ』を言葉の意味としては知ってるけど、人間 実際に死に直面するまで生きていることのすばらしさをなかなか実感できないんだ。」 トンくん 「でもそれでは遅いよね。」 ユーじい 「そう。そのとおり。よりよく生きるためには、今から『いのちの大切さ』を知っておいてほしいんだ。ユーじいは、最近とてもステキな試みが教育現場でされていることを本*で読んだよ。それはね。『死についての授業』なんだ。 トンくん 「うん。ある、ある。前におじさんが来て竹トンボの作り方を教えてくれたよ。トンくんのやつ 屋根まで、すっごく飛んだよ。」 ユーじい 「あっ、それそれ。黒板の授業と違っていろいろ体験できるから みんな楽しいんだよね。金沢の小学校で、金森先生という方が、その総合学習の時間に、末期のガン患者さんを招いたんだ。末期の患者さんというのは、病気が今の医学では治せないほど進行していて、もうしばらくすると死んでしまう人なんだ。」 トンくん 「なんで、そんなかわいそうな人を呼んだの?」 ユーじい 「人間はいつしか死ぬ、だからこそ限りある命を愛おしみ、輝やかせるんだとの思いを生徒に学んでほしいという気持ちからだそうだよ。入院中の乳癌の女性**に教室に来てもらい、いろいろ話をしてもらったそうだよ。その人は、手術のこと、病気になって初めて多くの人に生かされているんだと気づいたことなど、生徒たちに話してあげたんだ。『残された日々をどのように生きるか』を突き詰めている人の言葉と姿は、きっと子どもたちの心に響いたと思うよ。もちろん授業を聴いただけで、生徒たちが『生きることのすばらしさ』を十分に理解できたとは言えないだろうね。でも、このときに得た感動が、年をとっていろんな経験をつむたびに、繰り返し繰り返しよみがえってきて、『よりよい生き方をするとは一体どんなことなんだろう』って考えるいいきっかけになるよね。」 トンくん 「ふ〜ぅん。そうだよね。きっと金森先生の授業を受けた子どもたち、とってもラッキーだったんだよね。」 ユーじい 「トンくんの学校の先生方も、総合学習にすごくがんばっておられるけど、こういう踏み込んだテーマで授業ができたらすばらしいよね。 アメリカの医学教育の礎となったオスラー博士が学生たちにした講演『A WAY OF LIFE』で次のような詩を書いているんだ。ほらね。」 トンくん 「ふ〜ん。でも、これ英語で書いてあるから読めないよ。」 ユーじい 「じゃ、ちょっと訳してみるね。うっぅ、むぎゃむぎゃ・・・。う〜ぅっ、いざとなるとなかなか上手に訳せないもんだね。トンくん。ごめん。ユーじいの下手な訳なんでまちがってると思うけど・・・ ほら夜明けの息吹に耳を澄ませてごらん。 ユーじいも、この年令(とし)になって遅ればせながら、オスラー博士の言うことを実践してみようと思うんだ。トンくんもがんばってね。そうすればトンくんの人生で、時々に鳴り響く鐘、きっと とても美しいものになるはずだよ。」 窓の外に目をやると昨夜からの雪はいつしか降り止み、朝日に山茶花(さざんか)の真っ赤な花が目映く光り輝いていた。 ────────────────────── |
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*『性の授業 死の授業』
**泉沢美枝子さんは、それから一年後に亡くなられました。彼女が子供たちに残したものは、言葉よりも死に直面した人間が醸し出す生への尊厳、姿そのものだったそうです。彼女の著作に「どこかでお逢いしましたね。」(発行・金沢シネグリフ)」他があります。ガンと戦いながら映画評論のライフワークを成し遂げらたことが綴られています。 |