ユーじいとトンくんのよもやま話 第7話 (平成20年1月)

「子どものこころの問題」

 昨日から降り続ける雪で、部屋はうす寒くて暗い。ユーじいが本を読んでいるところにヨークシャ・テリアのトンくんがやってきた。

○○子ちゃんから笑顔を消えた!
トンくん 「うっ、寒〜ぃ。あれぇ、ユーじい どうして そんな浮かない顔をしているの?」
ユーじい 「実はねぇ。最近の○○子ちゃん、どうも変なんだぁ。
 小学校の低学年のときは、とっても明るく、笑顔が絶えないステキな女の子だったのに、最近は、全然違うんだよ。
 ユーじいのクリニックに お母さんと一緒に来てね、話を聞いたら『頭が痛い。体がだるい。ず〜っと寝ていたい』だって。」
トンくん 「お年頃だからかなぁ。恋の病じゃないのぉん。」
ユーじい 「そんなんじゃないよ。最近、こういう子が とても多いんだよ。」
トンくん 「こういう子って どんな子?」
ユーじい 「うつ状態といわれるものなんだ。」

うつ状態の子が増えている
ユーじい 「最近、体の不調を訴えて、小児科を受診する子が とても増えているんだ。
 小学校も上級生になると、朝の不調だの、体のだるさ、頭痛、腹痛、食欲不振、吐き気、肩こり、不眠など訴える子が多いね。(1)
 小学生高学年の1割、中学生の4人に1人が「うつ状態」という調査もあるよ。(2)
 ごく最近の調査では、本当のうつ病と診断をつけられる例は、小、中学生あわせて1.5%もいるんだ。中学1年生だけの調査では4.1%にもなり大人とほぼ同じ割合なんだ。(3)」

すでに指摘されている問題点
ユーじい 「これらの問題の背景に、遊び体験の欠損(自主性・社会性・耐性・道徳性・創造性の未発達)と生活の夜型化(短眠化)があること、それに加えメディアと接する機会の加速度的な増加が心身の疲労を生み出したり、コミュニケーション不足を助長しているといわれているね。
 この辺については以前にトンくんと話をしたことがあったね。
 今日は、別の観点から考えてみるね。」

大人も悩んでいる
ユーじい 「子どもたちだけでなく親たちも同じなんだ。みんな自信をなくしているみたいに見えるときがあるね。
 日本では今 少子高齢化の問題があるでしょ。更に追い打ちをかけるように国際競争力の低下がある。バブル経済が残した不良債権の山。その処理を優先させ、「失われた10年」の長いトンネルをやっと抜け出してみたら、社会のひずみはさまざまなところで広がり、この先どこへ向かったらいいのか、方向性を見いだせない状態なんだよ。
 それにグローバル化は、単に経済だけの問題だけでなく我々の意識にも大きな変化をもたらしていると思うよ。」

剥き出しの自己愛、失われたアイデンティティ
ユーじい 「確かに日本人の行動様式がアメリカナイズして自由に何でも発言、行動できるようになってきたね。 一方では「価値観の多様化」という言葉で括ってしまうことでは済まされない陰の部分ができてきたんだ。
 青年期の精神医学を専門に研究されていた小此木啓吾さんが「こころの痛み−どう耐えるか」(4)という本の中で、自己愛というキーワードを使っておられるんだ。その本によるとだね、現代人は自己愛にとらわれすぎているんだって。そして この自己愛の傷つきが、こころの痛みの原因となっていることが多いって。」
トンくん 「えぇ〜、どういうこと?」
ユーじい 「そうだね。まず自己愛について説明してみよう。心理学用語なんだけど、自己愛とは、読んで字のごとく自分自身を愛の対象とする心の働きで、誰にでもあるもんだよ。ナルシシズムともいうよ。」
トンくん 「なんだナルシシズムなら、知ってるよ。ユーじいが、下手糞なピアノを弾いてるくせに、ウットリとした顔で、ボクに「どぉぉ〜ん、うまいぃ〜ん?」なんて尋ねてるときなんか、まさにナルじゃん。」
ユーじい 「いやぁ、それはだね。う〜ん、むにゃむにゃ・・。(^_^;)
それは置いといてだね、フロイトのいう自己愛を「自分のことばっかりに向く愛情で、他の人の幸せなど全く意に介さない愛情」と定義するね。
例えば、自己愛人間とは、自分の成功とか、自分の仕事の達成とか、自分が周囲からよい評価を得ることとかが、すべての動機になってしまう人物のことをいうわけだ。 他人の子どもはどうでもよくって、自分の子どもが、いい大学に入ることだけ気にかけるなんてのも自己愛人間といえるよね。」
トンくん 「う〜ん、自分のことをいわれているようで耳の痛い話だ。」
ユーじい 「精神分析的に見ると、子どもや若者の無気力や引きこもりも、この自己愛の傷つきから発している場合が非常に多いんだって。少子化現象で、一人か二人の少ない我が子を親は希少価値として一所懸命育てるでしょ。そんな親の期待や思い入れを一身に集めた子どもたちは、自分が、他人以上に価値ある存在と考えるようになり、自己中心的な人格を形成するようになるんだね。
 また親子の関係にしても、本当の意味での、感情と感情の交流というのではなく、親はあらかじめ頭の中に自分の子どもに対するイメージを築き上げ、そのようなイメージの中の親子関係の中で親も子も暮らしているんだって。例えば、子どもについて親が何を一番の関心にしているかというと、よい子に育って、よい成績をあげ、よい大学に入る。行く末はよい就職をしてよい社会的な地位を得るということ。このような画一的な価値観が、まず親にあり、子どもが その自己愛的なイメージどおりに育っていかないと、自己愛が深く傷つくことになるよね。

(アイデンティティ)=(自己愛)+(理想像)

 アイデンティティとは、同一性とも訳されることは知っていると思うけど、「まわりの人たちが本人の自己定義を認め、評価する客観的な自己」のことをいうんだ。それは、家族、社会、歴史、民族、集団に所属感を抱く自己なんだけど、「男性としての自分」「○○小学校の自分」「日本人としての自分」なんてね。」
トンくん 「アイデンティティはわかったけど、上の式はな〜に?」
ユーじい 「人間は本来、誰でも自己愛は持っているわけで自分が一番大切だということは確かなんだ。だけど、社会生活をしていくときに、まず一度そういう個々の自己愛の満足をストップさせ、みんなが共有できるような「社会化された自己愛」が必要なんだ。自分は○○小学校の生徒で、クラスの仲間や先生方と とっても大切なものを共有している。そんな誇らしい気持ちかなぁ。
 愛校精神、郷土愛なんてのに置き換えることができるかもね。
 現代人は個人主義が行き過ぎ、そういうアイデンティティ感覚が欠落してしまっているから、みんなが個々人のものでない自己愛を共有できるような理想像を育むことが大切なんだよね。
 ちょっと前だけど、「国家の品格」という本がベストセラーになったでしょ。今、日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神なんてね。長い間忘れていた日本人の誇りと自信を与えてくれる本ではあるね。
 これは藤原正彦さんといってコロラド大学で数学者として長く教鞭をとっておられた方が書かれたんだけど、自己愛の塊ともいえるアメリカ人の中で長く活躍していた人の言葉だから説得力があるね。

 

 

 

 

 

 


 ちょうどテレビでは小泉首相がブッシュ大統領に借りたプレスリーのサングラスを掛けて忠犬ポチを演じていたときだったので「なるほど」と たくさんの人が膝をうったことと思うよ。」

戦後の子どもたちの輝く目の秘密、それは命の輝き、そして希望
ユーじい 「総合学習の時間は減らされちゃうけど、大人は、もっと子どもにしてあげることがたくさんあるはずなんだ。
そのヒントはね、戦争直後の子どもたちの笑顔に隠されていると思うんだ。
 三浦宗門さんの随筆の中に、戦争が終わったとき、復員列車にのって故郷に帰る思い出の一文があるんだけどユーじいのとっても好きな箇所で何回も読んだね。ちょっと長いから飛ばし読みするね。

 目の前に青空があった。その中央を頭から足に向けて、機関車のはく黒い煙の帯が流れていた。空は底抜けに青く、秋が近いことを示していた。そうだ、空がこんな色になると、夏休みの宿題が急に心配になったものだ。
 左右に水田が広がっていた。よく伸びた稲の合間には時折、日に照らされた水がキラキラと光った。自然は日本の敗戦と、兵士の疲労しきった肉体とは無関係に、激しい太陽の下で、旺盛で爛熟した夏を終えようとしているのだった。

「思いもよらず、我一人、不思議に命、永らえて・・・」仲間の一人が低い声で歌った。

 そのような歌を歌っている瞬間にも、数十万の同胞は まだ中国や南海の果てで病気や飢餓に苦しんでいるが、少なくとも筆者たちに関する戦争は終わり、自分の命が、肉体とともにあることを確信できたのである。
 そしてその瞬間、栄養不足で疲れ切ったはずの肉体に、にわかに新しい力が溢れるのを感じたのであった。枕にしている袋の中には、農民の仲間と交換した米があった。頭をグリグリと動かして、袋の奥に感じられる米の感触を確かめた。早く家に帰って この米を炊いて飯を食おう。

 三浦さんは、老境になった今でも、冬枯れがあるからこそ、まばゆい夏の命があるという発見、あの疲れ切った肉体にみなぎった激しい生命のとどろき、復活の時間を繰り返し思い起こしているんだって。
ここに一枚の写真がある。」

トンくん 「へぇ〜、昔の写真だねぇ。」
ユーじい 「うん。終戦直後の子どもたちの日常を撮った写真なんだけどトンくん、目を閉じて、この少年たちの目に映る世界を想像してごらん。 きっと とても貧しくて夕飯のおかず一つにも兄弟で大げんかをしていると思うよ。でもね、ユーじいは、そこに生きる原点があると思うんだ。

 命の輝き、そして新しい社会への希望。

 こんな時代だからこそ、子どもたちに、輝く目を持ち続けられるような社会を作ってあげたいね。

 窓の外を見ると、昨日からの雪もようやく止みキラキラ輝いている。垣根のサザンカの赤がまぶしい。」

関連サイトへのリンク

【参考文献】
@児玉浩子 他:不定愁訴とは. 小児内科35:1908-1911、2003年
A厚労省研究班(主任研究者 東海大医学部保坂隆氏)子どもの抑うつ度を中学生での調査「うつ病圏を予測するための臨床的判断点」以上のスコアだったというだけで、この子たちが全部 治療を必要とするうつ病ではないが。(Birleson自己記入式抑うつ評価尺度を用いて)2007年
他に小学4〜6年生の1割以上が抑うつ傾向にあるとの宮崎大教育文化学部の臨床心理士・佐藤寛氏(発達臨床心理学)の報告もある。2007年
B本年秋「子どものうつ 心の叫び」(講談社)の著者、北海道大学の伝田健三氏(児童精神医学)の調査報告:精神科医により「うつ病」と確定診断された罹患率。
C小此木啓吾:「こころの痛み どう耐えるか」NHKライブラリー2000年刊